「城取り」の軍事学(西股総生/角川ソフィア文庫)
裏表紙のあらすじは読むには読んだはずだが……。自分の小遣いで本を買うようになった中学時代は、それこそなめるように裏表紙のあらすじを何度も何度も読んでいたのだが、最近はどうも買う本が増えるにつれておろそかになってしまっているなあ。
余談はさておき、『戦国の軍隊』が「動」なら、こちらは「静」だと感じた。
軍隊の主体はその構成員たる人間つまり生物だが、山城にしろ平城にしろ構えられたそれは無生物だ。災害や人為的要因によって崩れ去ることはあっても、勝手に動いたりはしない。
戦国初期には要害としての役割を重視した山城が盛んに築かれ、織田信長の安土城によって城下町を擁する平城形式となり、それが江戸期の城の常となり現在まで残っている……そんな流れが一般的な説明だ。
しかし筆者はこの説明に異を唱える。筆者が研究の本拠を置くのは東国であり、それらの城を踏査してゆくとこの通例では説明がつかないからだ。
そこから筆者は、何十年にも及ぶ緻密な調査で得たデータをもとに、次々と反論を展開してゆく。
近世日本に平和が訪れるとともに、戦闘に特化したタイプの城は捨て去られていった。
われわれが真っ先に思い浮かべる「城」というのは、「日本国」という徳川幕府の巨大な領土の出城なのだ。
江戸時代には「藩」という単位で大名たちが領国を治めることが重んじられたけれども、築城という点に関しては「将軍家」という領主の下で派遣される城将にすぎない。
河川や港湾に沿って築城された多くの近世の城は、「いざ江戸」への備えであった。
と、ここまで書いてきたが、ひとつ言い訳をさせてほしい。
私は岡山出身で、大学時代は京都で過ごし本書でも言及されている彦根城にも行ったことがある。
つまり、第九章で述べられている対豊臣大坂防衛戦線のただなかで生活しているといっても過言ではない。おまけに中学時代は司馬遼太郎氏の『国盗り物語』『新史太閤記』『関ヶ原』『城塞』に傾倒し、戦国三英傑の系譜にどっぷりと浸かって成長した。
関東や東北地方出身の人はどうかわからないが、織豊政権期に確立された立派な石垣の城を身近に感じてきた私にとって、前述の流れで日本の城は変遷していったという通例は疑うびょうもなかった。
住んでいる地域や触れてきた先人によって「城感」(?)に差異が出るのは仕方がないことなのでは……と言わせてもらいたい。
筆者のあとがきを読んでみて、私が城、延いては古戦場や寺社仏閣、遺跡などに惹かれるのはどうしてだろうと考えてみた。
それは、往古にそこにいた有名無名の人々と時を超えて同じ空間にいられるという喜びをかみしめるためであった。

平泉を訪れた際は、判官様がここにいたのかと思うと打ち顫えた。
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