黒い福音(松本清張)
これは、祖母の世代(昭和一桁生まれ)まで遡らなければ「記憶」としては根付いていないだろう。
倒叙ものの小説仕立てで話はすすめられているが、警察の捜査や記者の取材などによって明らかになった事実が清張の推測を交えて書かれている。
後世のわれわれにとってはもうことの真相はわからない。しかし、事件当時の記録が残っており、それをもとに作家が作品として送り出したというだけで、それは貴重な存在となる。
しかも解説で述べられているには、本作が連載されたのは事件発生からわずか半年あまりしか経っていないときだという。当時の人々の動静を間接的にではあるが知ることのできるかけがえのない作品だ。
もとの事件を知らなくとも作中で言及されていることを拾えば、「バジリオ会」がイタリアの団体であることはわかる。
イタリアといえば、外国であっても「敗戦国」であるはずだ。戦争によって起こった窮乏と敗戦という結果がもたらした地位にいかに戦後の日本が堕ちたとはいえ、ここまで「国際的な立場が弱かった」のか――と藤沢刑事や佐野と同じような忸怩たる思いを抱いてしまった。
が、やはり宗教団体という柵が邪魔をしているのか。無知な推測だが、イタリア国家とは関係がなく、政教分離がすすみ向こうでも治外法権が成り立っているのかもしれない。同国ではバチカンとサンマリノが包領となっている。
戦後70年以上を経て日本の国際的地位は上がったが、宗教あるいは宗教的権威(のようなもの・似た形式のもの)を盲信するきらいは日本人に根強く残っている。科学的な捜査が行えるようになり、犯人の言い遁れができにくくなっている点から攻められさえすれば盲信も冷めようが、そうでないなら同じ轍を踏む可能性がある。
たとえば、強行的な決行を続けたためにオウム真理教などは警察の手が入る結果となったが、当時の民衆は妄執の熱に浮かされていたときく(私には地下鉄サリン事件以前のオウムに対する記憶がない)。
第二部の当初のタイトルであった『燃える水』というのが、最後の場面と結びついてとても印象的な語句となった。
そこで披露される佐野の推理に仮託された清張の想いは、将に火の河のように沸々と煮え滾っていただろう。
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